SHUN先生の腹黒日記

 高校教師&劇作家・演出家  SHUN先生(早瀬俊)の超現実的日常

「大の虫を生かすために、小の虫を殺す」から「雨にもマケズ」へ






てなわけで
寺島実郎さんに言わせると
「大の虫を生かすために、小の虫を殺す」
政策が続く日本
彼らを支持する方々は自分のことを大の虫とおもっているのでしょうけど
ごく一部の人間を除けばみな小の虫扱いだと分かります。
広島県の衆議院選挙のことを思えば河井議員でさえ
ましてや森友学園問題では赤木さんをはじめ籠池氏、佐川局長
皆小さな虫扱いなのでしょう。
私達のようなやむなく満員電車で通うもの
原発避難者なんかはとるに足らない小さな虫

でもあの方々が救うべき大きな虫なのかというと疑問しかありません。
私にはこの国を売り渡しながら生きながらえる寄生虫にか映りませんが…。
というと言い過ぎでしょうか。

さて、内田樹さん編の「人口減少社会の未来学」ですが読み応えがありました。

☆ ☆ ☆

大きな視点で見ると人口減少は生物学的には自然なことである。
それでも少子化対策をしたいというなら、
日本においては
「家族」が「子供を育てなくてはならない」
という考えを捨てることだ。
これは全く今の政府の主流派とは真逆の考え方だ。
結婚などしなくても子供が欲しければ生み、
その面倒は国や地域が面倒を見る。
医療費、教育費、ましてや飢えさせるのは
その地域やこの国の恥だという考えをもつこと。

そうあなたの隣にシングルマザーがいたら、
その母親の自己責任などと思ってはいけない。
あなたの責任で飢えさせない、
虐待させない、
病気になったら医者に連れて行き、
勉強が好きな子供なら
教育を受けさせるように国や地方自治体に働き掛ける。

日本国民全体にその考え方が浸透した時
少子化はもしかしたら改善されるかもしれない。
現実にそれに近い政策を実行している地方では
出生率は増加に反転しているという。
そんな地方の試みを希望とみなし
国全体に広げる時期にきたのではないだろうか。

さて、では日本人はどうあるべきなのか
と考えていたところ、たまたまこんな本を読んだ。



何よりもこの時代に父親が子育てに熱心なのがすごい。
宮沢賢治のこんな言葉もこんな父親あってのことと思う。

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ※(「「蔭」の「陰のつくり」に代えて「人がしら/髟のへん」、第4水準2-86-78)ノ
小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ[#「朿ヲ」はママ]負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ


こんな日本人を皆が目指すこと。
それがこの国を救うのではないかと
本気で考えた。

「グリーン・ブック」差別と記号化と人間の弱さと



てなわけで、
連休前に「グリーン・ブック」を映画鑑賞会で観てきました。
アカデミー賞をとった素晴らしい映画ですが
今なお続くアメリカ社会の差別に怒りを持ち、
映画の描かれ方に不満を持つ人もいると言います。
この映画は1962年の出来事を描いていて
その後1964年に公民権法が成立したにもかかわらず
差別は今も続いていることは周知の通りです。

     ☆ ☆ ☆

「人殺しは良くない。」
これに反論する人間はいないだろう。
けれどもこの世の中ではあらゆるところで殺人が起こっている。
しかも国家がそれを容認して多くの人の命が奪われている。

「差別は良くない」
これに反論する人間は、まあ少ないだろう。(と信じたい)
けれども人間には差別の感情が湧き上がる時がある。
社会の底辺で働き貧しさに気が滅入る時
その怒りはこんな腐った社会を作っている権力者や富裕層に向くのではなく
むしろ自分よりももっと貧しい人間や
社会的に差別を受ける人間をさらに差別する方向に向けられる。
中間層の没落によって、その怒りは人種差別へ向かった
それを利用したのが前大統領だったともいえる。

国家が大量の殺人を犯すとき、その対象は「敵」という記号化された存在だ。
兵士が大量破壊兵器を街に落とすとき
そこには自分と同じ感情を持った人間は存在しない。

トニーの怒りも「黒人」という記号化されたものに向けられていた。
そう、人間が憎むのは記号化され、抽象化された存在なのだ。
ある世界的イベントの責任者が差別したのは「女性」という記号
ある保守系女性政治家にとっては「性的マイノリティ」「LGBTQ」
収入が増えなくて生活が苦しい人々が憎むのは「生活保護受給者」だったり
悲しいことに、時には災害で補助金を受ける「原発避難者」だったりもする。

トニーの妻は一貫して「黒人」に対する差別はない。
少なくともそのような感情が表面には現れない。
何故か?
それは彼女が彼らを生身に人間として観ているから
自分と同じ人間であると

差別社会で自分の存在を認めさせるには
特殊な才能を磨くしかない
それはスポーツの世界や芸術の世界に限定されるとしたら悲しいことではあるが
生まれながらにして教育を受ける機会が平等でないなら
そういう道しかない。

圧倒的な才能を見せつけられた時
トニーは自分の完敗を認める
白人富裕層はそれを札束で叩いてその一部を金で手に入れようとする。
勿論鈍感な彼らはその演奏の本当の素晴らしさを理解できるわけがない。
粗野で乱暴ではあるが純粋で正義感の強い(だから用心棒なんてつとまる)
トニーこそが本当にその価値を理解する。
そこからようやく彼はドクターを自分と同じ
いや、心から尊敬する人間として認めることになる。
同時に彼も自分と同じ、苦しみを持つ一人の生身の人間であると

差別の陰には常に「社会」の影がつきまとう。
その中では差別される側は「記号」でなければならない。
かつて「農園の労働力」として輸入された彼らは
「黒人」という記号でなければならなかった。
そうでなければ、支配する者は残酷に彼らを扱えないからだ。
それは裏返せば、支配する者の心の弱さの現れだとも言える。
そして、それを正当化するのが「社会」という背後に存在する記号だ。

「差別は良くない」
ならあなたは何故差別をする。
それはあなたが弱いからだ。
自分の弱さを隠すためにそうやって相手を記号化して差別しているのだ。
差別するあなたはいつもこういう言い方をする。
「僕はいいのだが、皆がね。」
「この地域の決まりだから仕方ないのだ。」
そう語っているあなた自身が
「社会」の中で「一般市民」という記号化された存在に
自らを貶めているのだ。

トニーの妻のなんと強いことか
目の前の常連客を友人として愛し
素敵な文章を書くことができる人間を
心から素直に尊敬できる。

私たちはこの不寛容な社会で
そういう風に強くなりたいとは思わないのだろうか。

















「ライ麦畑でつかまえて」と少年の死について











てなわけでGWどこにも外出しないで過ごすのも珍しいのですが
昨日は新しく受け持った生徒が読みたいと言ってくれたことをきっかけに
「ライ麦畑でつかまえて」村上春樹訳を読み
映画「ライ麦畑の反逆児」を観て過ごしました。

村上春樹の小説とこの小説には勿論共通点があります。
小説を読んだ人間が、
「これは僕のことを書いているのではないだろうか」
と錯覚してしまうことです。
「小説を読むということは映画と違って、登場人物を内側から見ること。」
と中村文則さんは言っていますが
だとすると優れた小説である証明が
「これは自分のことだ。」
と読んだ後に感じてしまう力を持っていることなのかもしれません。

      ☆ ☆ ☆

ライ麦畑で走り回る子供たちを黙って見守り
崖に向かって全速力でかけてくる少年を
転落しないようにつかまえる

そんな人間になりたいとホールディンは言った。
この腐った世界に抵抗しても何も変わらないとしたら
この腐った世界を精一杯生きる少年達が
思い切りすべてを忘れてはしゃぐことができるように
見守る人間でありたい。

あの日の彼のクリスマス休暇のように
自暴自棄になって気が付いたら崖の傍に立っていたとき
彼をつかまえてライ麦畑に転がしてくれた妹のように

R君
君はきっと常に崖の淵に立っていたんだね。
どうして誰も気づかなかったのか
笑顔を無理につくって生きていくということの辛さに
そうしなければ世界が君を受け入れてくれないという残酷さに
そして、そんな腐った世界の片隅で震える君に

生まれ故郷をを捨てて生きていくということは
どんなに苦しい旅だっただろうね。
僕には分かるよ
僕もあの田舎を捨てざるを得なかった
そして街の人間から受け入れられるために
どれだけ頑張ったことか
本来怠け者の自分が一生懸命
他人のために行動して見せた

初めて街に出た時
「田舎者」って笑われた。
何も知らない僕は僕を恥じた。
恥じる必要なんかないはずなのに。

自分が悪くないと分かっていても
そんな些細な言葉に最初に傷ついたことを一生忘れやしない。
もしかしたら君もそうやってずっと傷ついていたんじゃないのかい。
そうして、世界から受け入れられるために君は仮面を被った
皆は君の半分しか知らないんだ。
いつも笑顔で、親切で、礼儀正しく努力家の君。
それも君の一部だけど
君の仮面の下にはもう一人の君がいて

ライ麦畑の隅で僕は君の声を聴いてしまった

もうこんな腐った世の中は沢山だ
何も悪くないのにどうして僕たち家族は苦しまなくちゃいけないの
お父さんは苦しんでいる。
家族の幸福のために苦しんでいる。
僕は声を上げたい
馬鹿野郎って声を上げたい
悪いことを一杯やってこの世に反抗もしたい
でも、それをやった途端にきっと皆が僕らを蔑むようになるだろう。

苦しいよ。
仮面を被り続けるのは
僕らはいつまで原発避難者という
「異邦人」でありつづけなければならないの。


R君、つかまえられなくてごめんね。

「ライ麦畑でつかまえて」
こんな腐った世の中だけど
崖から飛び降りそうになる人々を一人でも多く
つかまえられるような社会に

僕はそうあってほしいと願う。


















































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